取材・撮影:2017年(『靴職人の手仕事展』展示資料より)
※ウェブサイトへの転載にあたり、若干の修正を加えました(2020年10月)。
ー靴づくりを始めたきっかけは何ですか。
まず靴作りに関心をもったのは、見よう見まねではすぐにできない、習わないとわからないところかな。そして西成製靴塾に行こうと思い、資料を請求したその日に、旦那からパリで仕事をすることになったと報告されて「じゃ、向こうで探そう」と思いフランスへ行きました。ーフランスでは靴作りの学校は見つかりましたか。
フランスでは、靴作りを教えてくれるオーダーメイドの靴屋さんで雇ってもらいました。そこには関係者がたくさん来るので、いろんな知識を学べました。特に自分の中で大きかったのは、レオンという製甲師のおじいちゃんとの出会いです。家へ遊びに行くようになり、靴の縫製を教えてくれるようになったんです。朝から晩まで靴にまみれてましたね。ーレオンさんからはどんなことを教えてもらいましたか。
レオンのミシンは13歳ぐらいから使っているので年季モノなんです。触ったら壊れるから触らせてもらえませんでした。後ろでずっと見て、ムービーを撮って、帰ってまとめて。で、家の家庭用ミシンで縫って、次の日に見せる、の繰り返しでした。教えてもらったというより、見て覚えました。私はそっちのほうが好きです。ーフランスでの一番の思い出は?
レオンとのお昼ご飯。靴、関係ない(笑)向こうはいくら忙しくても正午になったら絶対休憩するんですよ。ワイン飲んで、しゃべって。それがいちばん残ってますね。ー日本に帰って来てからは?
日本に帰ってくると道具もフランスで使っていたのと違うし、手縫いを勉強したくて西成製靴塾に見学に行きました。そこに花田先生がいて、とてもいい雰囲気で「なんかいいなぁ」と。今では当たり前に何でもある時代だけど、自分で作らないと何もない時代の靴の作り方を勉強したかった。それを知っていれば、靴作りの幅が最大限に広がると思ったんですよね。それに、大阪の材料屋さんなどの場所や繋がりといった業界の事情も知りたかったので、製靴塾はすごくよかったです。ー花田さんはどんな方でしたか。
花田先生は優しいおじいちゃんでした。口数は少ないけど、めっちゃ見てくれてたし、自分の仕事もよく見せてくれました。そうしたことを自分のものにするには、見て盗まないといけないし、自分でどんどん聞きに行かないといけない。ーなるほど。たしかに鳥取さんは昔の職人タイプのようですね。
よくそう言われるんですが、自分ではわかりません。花田先生はイメージどおりの職人さんでしたね。見て盗めることがたくさんありました。先生がやると簡単そうに見えることも、自分でやるとめっちゃ難しかったです。ー自分でやってみてわからないときは?
私は聞き直しますね、だいたいは動きを見てわかるんですけど。さっきも言ったように、花田先生は口よりも手が先に動く昔の職人さん。聞きに行くと、黙って靴をパッと取ってやってみせてくれます。そんなときはじっくり手元を観察して、何が盗めるのか目を凝らしていました。ー製靴塾を卒業してからそんなに経ってないですね。いまはご自宅で仕事していて、意識は変わりましたか。
だいぶ変わりました。自分の為じゃなくお客さんのことを考えながら作ってるから、全てのポイントで本当によ~く考えるようになりました。製靴塾にいたときは作りたいものを作っていたので何にも考えてなかった。好き放題してすみません。ーこれからはどんなことがしたいですか。
展示会に出て、資金を貯めて、自分のお店を持ちたいですね。でも今は目の前に来たものは「なんでもやろう」というかんじで、流れに身をまかせています。ーブランドの由来についてお聞かせください。
自分が作りたい靴のイメージはシンプルでスタイリッシュな靴。自分の名前をすっごぉぉくシンプルにしたらイニシャルのA. T. (アーテー)になって。そこに仏語の‘Les chaussures’を付けたらスタイリッシュに見えた(笑)コンセプトは「上質、シンプル、個性」です。上質をもたらす丁寧な仕事、装いを限定しないシンプルなデザイン、シンプルなデザインの中にも感じ取られる個性、を靴に宿らせたいと思っています。ー読み方はフランス語にされたんですね。
はい、初めて靴を習ったのがフランスだったので。フランスにはすごく良い思い出がある。私の人生の中で一番苦労して努力して、たくさんの物を得た期間でした。ーブランドとしての展望は?
受注会などでA.T.を皆さんに知ってもらえるような活動をしたいですね。夫婦の趣味は旅行なので、全国各地を回っていろんな場所で靴を販売し、靴を通して人と出会いたいな。